2024年に日本で公開されたものから選びました。
15. 動物界 – The Animal Kingdom
近未来。人類は原因不明の突然変異によって、徐々に身体が動物と化していくパンデミックに見舞われていた。”新生物”はその凶暴性ゆえに施設で隔離されており、フランソワの妻ラナもそのひとりだった。しかしある日、移送中の事故によって、彼らは野に放たれる。フランソワは16歳の息子エミールとともにラナの行方を必死に探すが、次第にエミールの身体に変化が出始める…。人間と新生物の分断が激化するなかで、親子が下した最後の決断とはー? オフィシャルより
人間であることを失う恐怖から始まり、やがて人間である必要がないことへの解放へと進んでいく様は、まるで夜明けの光が闇を押しのけ、空に広がる一筋の希望のようだ。動物たちは、常にその本能に根差した力強さを持ち、自然の中で自由に生きる。人間の存在が抱える不安や葛藤を超越し、彼らの生き方は純粋でありながら、しなやかで力強いものだ。
14. ミツバチと私 – 20.000 especies de abejas
夏のバカンスでフランスからスペインにやってきたある家族。母アネの子どものココ(バスク地方では“坊や(坊主)”を意味する)は、男性的な名前“アイトール”と呼ばれることに抵抗感を示すなど、自身の性をめぐって周囲からの扱いに困惑し、悩み心を閉ざしていた。叔母が営む養蜂場でミツバチの生態を知ったココは、ハチやバスク地方の豊かな自然に触れることで心をほどいていく。ある日、自分の信仰を貫いた聖ルチアのことを知り、ココもそのように生きたいという思いが強くなっていくのだがー オフィシャルより
彼女の本音や感情は、家族や親しい人々にとって試金石のような存在であり、その受け入れ方や感じ取り方が問われる時が来たかのように感じられる。彼女の内なる声が周囲にどのような影響を与え、どのように響いていくのか。その一瞬一瞬が、絆の深さや理解の幅を試す、繊細で重要な時間のようだ。
13. 助産師たちの夜が明ける – Sages-femmes
あるフランスの産科病棟。念願の助産師の仕事に就いたソフィアとルイーズが初出勤すると、そこには想像を超える壮絶な仕事場が待っていた。常に何人もの担当を抱え走り回る助産師たち。ケアされるための十分な時間がないなか運ばれてくる緊急の産婦たち。患者の前で感傷的になるな、とルイーズがベテラン助産師ベネに厳しく叱責される一方、ソフィアは無事に出産を介助し周囲の信頼を勝ち得ていく。そんなある日、心拍数モニターの故障から、ソフィアが担当した産婦が緊急帝王切開となり、赤ん坊は命の危険にさらされる─。さらには産後行くあてのない移民母、未成年の出産、死産したカップル…生と死が隣り合わせの現場で、二人は一人前になれるのだろうか?ー オフィシャルより
厳しい状況の中で前向きでいることは、心に響く力強さと希望の象徴である。しかし、人種や貧困による排除の現実は、鋭い痛みと深い悲しみを伴う。これらの対極的な感情が交錯する中で、人間の強さと脆さが試される。前向きな姿勢が光をもたらす一方で、社会の不平等が影を落とす。その中でどう生き、どのように希望を見つけるかは、個々の心の奥底に刻まれる試練となる。
12. HOW TO HAVE SEX – How to Have Sex
タラ、スカイ、エムの3人は、卒業旅行の締めくくりに、パーティーが盛んなギリシャ・クレタ島のリゾート地、マリアに降り立つ。自分だけがバージンで、 居ても立ってもいられないタラ。初体験というミッションを果たすべく焦る彼女を尻目に、親友たちはお節介な混乱を招いてばかり。タラは、バーやナイトクラブが立ち並ぶ雑踏を、一人酔っぱらい、彷徨っていた。そんな中、ホテルの隣室の少年達と出会い、思い出に残る夏の日々への期待を抱くのだがー オフィシャルより
友達と親友は確かに異なる関係であり、それぞれが持つ目的や楽しみ、そして求めているものは異なる。一時的な環境の中でそれを見つけるのは容易ではなく、その中で人々は自分にとって本当に大切な関係を見極めることが求められる。友達は日常の中で共に過ごす楽しさや気軽さを提供してくれるが、親友は深い理解と共感をもたらし、困難な時にも支えてくれる存在である。この微妙な違いが、人生の中で重要な役割を果たす。
11. 瞳をとじて – Cerrar los ojos
映画『別れのまなざし』の撮影中に主演俳優フリオ・アレナスが失踪した。当時、警察は近くの崖に靴が揃えられていたことから投身自殺だと断定するも、結局遺体は上がってこなかった。それから22年、元映画監督でありフリオの親友でもあったミゲルはかつての人気俳優失踪事件の謎を追うTV番組から証言者として出演依頼を受ける。取材協力するミゲルだったが次第にフリオと過ごした青春時代を、そして自らの半生を追想していく。そして番組終了後、一通の思わぬ情報が寄せられた。「海辺の施設でフリオによく似た男を知っている」ー オフィシャルより
忘れようとしても消えない思い出は、まるで消えない影のように心に刻まれる。他人によって掘り起こされ、自分自身もその渦に巻き込まれていく複雑な感情に翻弄される。彼がその中で何かを終わらせることができたのか、それとも終わらせること自体が目的ではなかったのか。彼の旅路は続いていく中で、解放や癒しを見つけることができるのかもしれない。最終的な答えは彼自身の心の中にあるのだろう。
10. 落下の解剖学 – Anatomie d’une chute
人里離れた雪山の山荘で、男が転落死した。はじめは事故と思われたが、次第にベストセラー作家である妻サンドラに殺人容疑が向けられる。現場に居合わせたのは、視覚障がいのある11歳の息子だけ。証人や検事により、夫婦の秘密や嘘が暴露され、登場人物の数だけ<真実>が現れるがー オフィシャルより
事件の真実は時として二の次になり、裁判における登場人物たちの異常さや複雑な立場が、妄想的な意識を増幅させ、さらなる混乱を招く。その姿は、現実と虚構が交錯する劇場のようであり、真実の追求がその奥底に沈んでしまうこともある。それぞれの人物の意図や背後にあるストーリーが、裁判という舞台でどのように展開されるかが、観る者の意識をさらに惑わせることとなる。
9. アイアンクロー – The Iron Claw
巨大な手で敵レスラーの顔をわしづかみする必殺技“アイアンクロー=鉄の爪”を生み出し、1960~70年代に日本でもジャイアント馬場やアントニオ猪木らと激闘を繰り広げ、一世を風靡したレスラー、フリッツ・フォン・エリック。さらにフリッツは息子たち全員をレスラーに育て上げ、苛烈な競争が繰り広げられる世界で“史上最強の一家”となる野望を燃やす。厳格な父を敬愛する息子たちはレスラーとしての才能を開花させ、次男ケビン、三男デビッド、四男ケリーが大活躍した1980年代に絶頂期を迎えるが、最強への道に不幸な運命が立ちはだかる。フォン・エリック家の子供たちに、いったい何があったのかー オフィシャルより
劇中に登場しない兄弟が実はもう一人いることを知るものにとっては、悲劇的な家族の物語にさらなる重みを加える。その影響は心に深い痛みをもたらし、これ以上の不幸を描くことにためらいを感じる。家族の絆と葛藤が一層深く刻まれ、各々の歩んだ道が物語の奥行きを増す。
8. 人間の境界 – Zielona Granica
「ベラルーシを経由してポーランド国境を渡れば、安全にヨーロッパに入ることができる」という情報を信じて祖国を脱出した、幼い子どもを連れたシリア人家族。しかし、亡命を求め国境の森までたどり着いた彼らを待ち受けていたのは、武装した国境警備隊だったー オフィシャルより
終わりのないループの中での苦しみは、まるで出口のない迷宮に囚われているかのように感じられる。その辛さは計り知れず、どの立場にあってもその関わりは決して容易ではない。正解が存在しないという現実が、一層の重圧を加える。しかし、その中でも、人はどうにかして前に進もうとする。完璧な答えがなくとも、自分なりの道を見つけることが、大切な一歩となるのかもしれない。
7. 胸騒ぎ – Gaesterne
イタリアでの休暇中、デンマーク人夫婦のビャアンとルイーセ、娘のアウネスは、オランダ人夫婦とその息子と出会い意気投合する。後日、オランダ人夫婦からの招待状を受け取ったビャアンは、家族を連れて人里離れた彼らの家を訪れる。再会を喜んだのも束の間、会話のなかで些細な違和感が生まれていき、それは段々と広がっていく。オランダ人夫婦の“おもてなし”に居心地の悪さと恐怖を覚えながらも、その好意をむげにできない善良な一家は、週末が終わるまでの辛抱だと自分たちに言い聞かせるが——。徐々に加速していく違和感は、観る者を2度と忘れることのできない恐怖のどん底へと引きずり込むー オフィシャルより
リメイク版はまだ確認していないが、観終わった後に感じた気分の悪さは、今年一番の陰影深い感覚を残した。救いのない状況の中で、わずかな優しさが引き起こす悲劇は、まるで虚ろな鏡に映し出された歪んだ真実のようだ。その影響は心の深奥に届き、忘れることのできない余韻を残す。
6. 葬送のカーネーション – Cloves & Carnations
荒涼とした冬景色のトルコ南東部。年老いたムサは、亡き妻の遺体を故郷の地に埋葬するという約束を守るため、棺とともに旅をしている。紛争の続く場所へ帰りたくない孫娘のハリメだったが、親を亡くし、仕方なく一緒に歩いている。亡き妻とともに故郷への帰還を渇望するムサ。旅で出会う様々な人たちから、まるで神の啓示のような“生きる言葉” を授かりながら進んでゆく。国境、生と死、過去と未来、自己と他者、棺をかつぐ祖父と孫娘の心の融和。トルコから届いた3人のおとぎ話は、境界線の先に小さな光を灯す。ー オフィシャルより
年老いた祖父と共に、意味も分からず棺を引きずり歩く。出会う言葉に励まされながらも、旅は絶え間なく続く。その歩みは幼い頃から老いるまで、人生そのもののように続いている。希望と絶望が入り混じる中で、その旅は終わりを迎えることなく続いていくのだ。
5. ゴッドランド GODLAND – Vanskabte Land
デンマークの若き牧師ルーカスは、植民地アイスランドの辺境の村に教会を建てるため布教の旅に出る。アイスランドの浜辺から馬に乗って遥か遠い目的地を目指すが、その道程は想像を絶する厳しさだった。デンマークを嫌うガイドの老人ラグナルと対立する中、思わぬアクシデントに見舞われたルーカスは狂気の淵へと追い込まれ、瀕死の状態でようやく村にたどり着くがー オフィシャルより
自然の美しさと厳しさに対峙しつつ、彼は使命を全うするために前進する。その中で唯一の喜びは、瞬間を写真に収めること。まるでその一瞬一瞬に存在の証を刻み込むかのように、彼はカメラを構える。その行為は、生きる証明としての儀式のように感じられる。
4. Here – Here
ブリュッセルに住む建設労働者のシュテファンは、アパートを引き払い故郷のルーマニアに帰国するか悩んでいる。姉や友人たちにお別れの贈り物として冷蔵庫の残り物で作ったスープを配ってまわる。出発の準備が整ったシュテファンは、ある日、森を散歩中に以前レストランで出会った女性のシュシュと再会。そこで初めて彼女が苔類の研究者であること知る。足元に広がる多様で親密な世界で2人の心はゆっくりとつながってゆくー オフィシャルより
静寂に包まれた空間には、微かな音が遠くから響く。自然に囲まれた場所と都市の喧騒が隣り合い、人工物と自然が共存する中、ゆっくりと歩を進めれば隠れた美が顔を覗かせる。その調和の中で、一歩一歩が新たな発見をもたらす。
3. システム・クラッシャー – Systemsprenger
嵐のような9歳の女の子ベニー。幼少期、父親から受けた暴力的トラウマ(赤ん坊の時に、おむつを顔に押し付けられた)を十字架のように背負い手の付けようのない暴れん坊になる。里親、グループホーム、特別支援学校、どこに行こうと追い出されてしまう、ベニーの願いはただひとつ。かけがえのない愛、安心できる場所、そう!ただママのもとに帰りたいと願うだけ。居場所がなくなり、解決策もなくなったところに、非暴力トレーナーのミヒャはある提案をする。ベニーを森の中深くの山小屋に連れて行き、3週間の隔離療法を受けさせることー オフィシャルより
無邪気さが破壊を招き、受け入れられないという現実がある。たとえ母親との関係であっても、この現実は変わらない。すべてが上手くいくことを願いながらも、疎外感や苦しみが交錯する中で解決を求める旅は続く。その過程は、希望と絶望が絡み合う複雑な道のりであり、新たな挑戦が常に待ち受けている。
2. シビル・ウォー アメリカ最後の日 – Civil War
連邦政府から19もの州が離脱したアメリカ。テキサスとカリフォルニアの同盟からなる“西部勢力”と政府軍の間で内戦が勃発し、各地で激しい武力衝突が繰り広げられていた。「国民の皆さん、我々は歴史的勝利に近づいている——」。就任 “3期目”に突入した権威主義的な大統領はテレビ演説で力強く訴えるが、ワシントンD.C.の陥落は目前に迫っていた。ニューヨークに滞在していた4人のジャーナリストは、14ヶ月一度も取材を受けていないという大統領に単独インタビューを行うため、ホワイトハウスへと向かう。だが戦場と化した旅路を行く中で、内戦の恐怖と狂気に呑み込まれていくー オフィシャルより
赤いメガネをかけた男が、この作品の恐怖を象徴する圧倒的な存在感を放つ。現実は暗く、明確な定義が通用しない混沌とした世界。戦争はただの殺人ゲームに過ぎないという冷酷な現実が、心に重くのしかかる。その中で、彼の存在はまるで虚無の中に浮かび上がる影のようだ。
1. 関心領域 – The Zone of Interest
アウシュヴィッツ収容所と壁ひとつ隔てた隣に暮らす1組の家族。彼らが穏やかで幸せな日常を過ごす一方で、収容所のおぞましい実態が明らかになっていく。ー オフィシャルより
恐怖や強権に対して無関心を装うことが最も効果的な手段だが、心の奥底では真実を隠しきれず、精神的な傷が残る。今の時代も、無関心があちこちに見られる中、皆が恐れを抱いているという現実が横たわる。その静かな表面下に、深い悲しみと不安が潜んでいる。