ARTIST : HMLTD
TITLE : FANGS
LABEL : Lucky Number
RELEASE : 10/23/2026
GENRE : artrock, punk, goth
LOCATION : London, UK
TRACKLISTING :
1. What The Hell
2. I Used To Ride In Limousines
3. Umami
4. Dancing On Your Grave
5. One Thousand White Horses
6. Close To You
7. Chateau Vamp Freestyle
8. Grab The Crucifix
9. Shudder
10. Blitzkrieg
11. Sorry For Laughing (feat. Corpus Delicti)
「ゴシックの規範において、吸血鬼はふたつの特徴によって定義される。第一にその存在論である。吸血鬼は生者でも死者でもなく、『アンデッド(不死者)』という秘密の第三のカテゴリーに属する。第二にその繁殖手段である。アンデッドとしての存在を維持するため、吸血鬼は終わりのない消費のサイクルに囚われている。それは何も生み出さない。故に『我消費す、ゆえに我あり』なのだ。」生きる理由も死ぬ価値もなく、自らの生活が増大する消費によって定義され媒介されている現代人の状態とは、まさに後文資本主義下における「吸血鬼化(Vampirism)」そのものではないだろうか?
これこそが、HMLTDがニュー・アルバム『FANGS』で投げかける問いである。この探求に対するサウンド面での対抗策として、バンドは自らを新たなジャンル「Götherdammerüng(ゲーテルダメレング)」あるいは――より簡潔に――「ÜberGöth(ユーバーゴス)」と自称している。予測不能な展開を見せるこの新たなサウンドは、ロック・オペラだった2023年の前作『The Worm』からは遥かにかけ離れたものだ。『FANGS』において、『The Worm』でフィーチャーされた16人編成のオーケストラはAbletonへと置き換えられ、ティンパニやヴァイオリンはサイドチェーンの効いた4つ打ちビートとレイヴ・シンセへ、ゴスペル聖歌隊は低く濁ったゴシックの叫びやブラック・メタルのスクリームへと様変わりした。その結果は独自にして恐怖を煽るものとなった。現代のエレクトロニック・ミュージックとドゥームスクロール時代のダンス・ミュージックの鏡を通して、ゴスというジャンルを完全に再定義し、再生させている。
過激でジャンルの限界を押し広げる実験性とアヴァンギャルドな挑発という、バンドの原点への回帰でもある今回の劇的な方針転換は、必然性からもたらされたものでもある。『FANGS』はHMLTDにとって通算3枚目の公式アルバムだが、ある意味では4枚目とも言える。リード・ボーカルのHenry Spychalskiはこう説明する。「『The Worm』の直後、僕らは丸1年とレーベルから支払われた前払金のほぼすべてを費やして、僕が経験した特にトラウマ的な失恋に関する『インディー』アルバムを作っていたんだ」。ドラム、ギター、ベース、ボーカルという伝統的なバンド編成で全編録音されたものの、完成してみると自分たちが嫌悪するアルバムが出来上がっていた。「芸術的・哲学的に僕たちが常に反対してきたすべてのもの――安全性、分かりやすさ、保守主義、そして自暴自棄――がそこには体現されていた。僕たちにとってアートとは反乱であり、反抗でなければならない。少なくとも新しいものを目指そうとしないのなら、一体何の意味があると言うんだ?」
1年という時間と予算の大部分を費やした3枚目のアルバムは廃棄された。「僕らは曲も予算もほぼゼロの原点へと戻った」。だが、この制約がすぐに彼らの創造的な枠組みとなった。「DIY的なアプローチに戻らざるを得なくなり、そうすることで僕らはバンドを最初から特別なものにしていた要素、すなわち過激な対立、ラジカルな実験性、そしてジャンルに拘束されることへの拒絶を再発見したんだ」。この新たなスタートはメンバーの変更によって拍車がかかり、オリジナル・メンバーのSpychalskiとDuc Petermanに加えて、Theo Spark(Skinship)とAndrei Martynchyk(かつてノイズ・エレクトロニクスのツアー・パートナーだったSilkarmourの元メンバー)が参戦した。
FarringdonにあるMartynchykの地下スタジオで作業を開始したバンドは、やがてロワール渓谷にある廃墟となった城へと移り住んだ。「週に1度食料を調達しに行く以外、滞在中は誰とも会わず、口も利かなかった」と彼らは語る。閉塞感(キャビン・フィーバー)に苛まれ、ゴシック調の周囲の環境にインスパイアされたバンドは、吸血鬼の伝承や、彼らの初期作品に影響を与えたEBMおよびゴス・サウンド――Fad Gadget、DAF、Nitzer Ebb、Suicide、Bauhausといったアーティストたち――に没頭していった。実際、音楽的に『FANGS』の遺伝子は、これらの初期のパイオニアたちと、Crystal Castles、ジャーマン・ハードコア、2000年代のJusticeのようなブログ・ハウス、そして2020年代のスリーズポップといった現代的な影響の双方に深く与っている。大きな影響を与えたカルト的なフランスのゴス・バンドCorpus Delictiは、トリップホップとゴスが融合したアルバムのラスト・トラック「Sorry for Laughing」にゲスト参加しており、そのタイトル自体もスコットランドのポストパンク・バンドJosef Kへのオマージュとなっている。
アルバムのリリックやコンセプトのフレームワークが形作られたのもこの滞在中であった。19世紀のゴシック文学や、自身が「スキゾイド哲学」と呼ぶもの(Evola、Bataille、Land、CCRU)の読書に没頭したSpychalskiは、自ら精神崩壊を起こそうとしていたようなものだと冗談めかして語る。しかし、それだけの価値はあった。『FANGS』で作り上げられた世界は実に豊かで、宇宙的悲観主義、眩い恐怖、知覚不能な悪、デジタルな解体、古代の呪い、廃城、そして吸血鬼に満ちている。イタリアのオカルト・コレクティヴGruppo Di Nunにインスピレーションを得たSpychalskiは、「ゴシックの暴動(Gothic Insurrection)」という概念を特に影響を受けたものとして挙げる。彼にとってこれは「資本によって生み出された新たな悪魔を描き出す手段として、疫病の穴、魔女、吸血鬼といった、近代が埋め立てようとした亡霊たちを蘇らせること」を意味している。
一度や二度聴いた程度では、こうした高尚な影響や参照点を見落としてしまうかもしれない。宇宙的悲観主義やゴシック的末世論を抱えながらも、『FANGS』は非常に楽しく、ユーモアに溢れ、深みがあると同時に踊れるレコードに仕上がっている。クラブのために、そしてクラブの中で生まれたトラックの数々は、『Brat』に収録されていても違和感がないほどだ。脳が歌詞の悲惨さに焦点を合わせるまでは明るく能気に聴こえるThe Smithsの楽曲のように、このアルバムも二つのレベルで聴き、楽しむことができる。重厚なベースの鼓動や戯れるようなシンセの音に身を委ねることもできれば、それらに重なる歌詞の恐怖に耳を傾けることもできる。時には「Gross-up Close-Ups」のように不意打ちで飛び出し、快楽の最中にあなたを捕らえて眩暈のするような冷め(カムダウン)をもたらす、無視できない言葉も存在する。Spychalskiはこの効果が完全に意図的なものだと説明する。「歌詞は、音楽によって引き起こされる体験そのものに疑問を投げかけるためのものなんだ。『クラブ』という場を本気で道徳的糾弾に晒し、ストロボライトがすべてを暴き出すその瞬間を、中心にある虚無を露呈させてパニックを引き起こすのに十分な長さまで延長させるんだ」。
この虚無を露出させる手段として、アルバムの語り手の声はしばしば「クラブとしての人生」の最悪な過剰性を直接体現しており、ここに吸血鬼化というテーマが真の形となって現れる。『FANGS』において、吸血鬼は墓場をクラブへと置き換えた。そしてクラブはあらゆる場所に存在する。「クラブはその壁を越えて、めまぐるしいレッドシフトにおける存在(Dasein)の爆発の中で拡張した。無制限の欲望、目障りな享楽主義、終わりのない消費というクラブの感覚的ロジックは、人生のすべて、あるいはむしろアンデッドとしての存在のすべてに浸透している。吸血鬼はそのサイコスフィア――ベース、ストロボ、取引という文化的無意識――に居住している。ひとつの欲望が満たされるやいなや別の欲望がそれに取って代わり、苦痛のサイクルが再び始まるのだ」。消費と欲望の充足に基づいた社会において、私たちは幾多の吸血鬼のように、永遠にこの輪廻(輪廻のサイクル)に閉じ込められている。
この意味において、『FANGS』は退廃と堕落の時代における一種のトロイの木馬である。Spychalskiがアルバムのマニフェストに記している通りだ。「第1次(1967年)および第2次(1989年)サマー・オブ・ラブの、最初はアシッド、次いでエクスタシーによる夢は、集団という幻想の中で個人の痛みと孤独を解消し、原始の統一へと回帰するという形で、アンデッド状態への治療法を約束していた。レイヴから現在のダンスフロアおよびクラブ・カルチャーへのシフトは、連帯から自己執着へ、コミュニティからクラウト(影響力)へ、集団から個人へ、平等主義から階層制へ、『その瞬間を体験すること』から『その瞬間を配信すること™』へ、エゴの死からセレブ崇拝へ、そして共通の処方薬としてのエクスタシーからコカインへのシフトなのだ」。
自らを生み出したカルチャーの肥大化した過剰性を体現することで、『FANGS』は――吸血鬼と同じく――自らの姿を見失ってしまったカルチャーに対して、鏡を差し出そうと試みている。その結果生み出されたものは、徹底的にモダンで独創的、かつ創造的であるだけでなく、心から危険で力強いものと感じられる。ウィリアム・ブレイクはミルトンについてこう書いた。「ミルトンが天使や神について書くときに拘束を感じ、悪魔や地獄について書くときに自由を得た理由は、彼が真の詩人であり、自知せずして悪魔の党派に属していたからである」。ミルトンの悪魔(あるいはストーカーのドラキュラ)のように、『FANGS』はこの曖昧さを歓喜とともに受け入れている。退廃、衰退、道徳的腐敗を告発すると同時に、それがもたらす陶酔感に心ゆくまで浸っているのだ。カコフォニーを奏でるサブベースは黄泉からの虚無の呼び声となり、天使のようなレイヴ・シンセはヴァルキリーの叫びとなり、4つ打ちのビートは死の葬送行進曲となる。吸血鬼による黙示録なのだ。





